趣味でお墓参りをすることを掃苔と言う。文字通り苔を掃(はら)って彫りを鑑賞することである。
区画整理などで昔墓地だったところが道路や宅地になる時、公共墓地に回向することがある。
門司、大里では城山公園にその塋域がある。庄司の地蔵寺には田野浦の遊女の墓が回向されている。また大里の西生寺、廃寺である静泰院跡にも多くの無縁墓がある。
楽しむところはいくらでもあるのである。
有名な人の墓ならともかく、こんな田舎では無名の墓ばかりである。
それでも観ようによっては面白い。
無縁墓の中でも、門司のものは明治大正のものが多く、石や彫りが立派なものが多いのが特徴である。生前の羽振りのよさは想像に難くない。しかしいくら立派な墓でも、100年も経たないうちに無縁になるとは、故人には思いもよらなかったに違いない。
大里の墓は江戸期のものが多い。200年以上昔の墓もある。
俗名には苗字がなく、名だけである。如何にもありふれた農民の墓である。職人の墓には職種を刻んである場合もある。
昔自然石の墓は行き倒れの墓であった。しかし回向された墓のほとんどはきちんと加工された墓石である。小さくても埋葬してくれる親族があり、世間並の生活を営んでいたのであろう。
一般に江戸期の庶民には真宗が多い。戒名を看れば門司六郷も同様であったことが窺える。浄土宗ならば少し余裕のある家柄であったのかもしれない。
院号があり苗字があれば武士である。俗名が屋号なのに院号が刻まれた墓石もある。もしかしたら寺に多額の寄進をしたお大尽かもしれない。明治以降ならば戦死であろう。
居士号ならば禅宗だろうか。武士には禅宗が多いと聞く。
墓の大きさや戒名から彼等の生活を想像するにはもっといろいろな知識が必要である。あればもっと面白いに違いない。
2007年11月23日 mixiの日記より
2011年8月13日土曜日
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