2010年9月5日日曜日

東京っていいなあ

「洞房語園」から引用する。
五月廿八日の夜、小笠原家の侍衆十人ばかり大門口迄参られ、当所へ欠落者(かけおちもの)を付込んで捕へ候内、暫く大門の出入を止められ候へと頼み、大門の番人、五丁町中へ知らせ、大門を閉めて穿鑿するに、彼欠落者は江戸町二丁目河岸にて捕へられたり、類焼後町々木戸は無し、五町中大騒ぎしける、二丁目河岸に大工五郎兵衛と云ふ者、彼欠落者に出合、琴柱(ことぢ)にて働き少しばかり手疵負ひたり、小雨はふる曾我の夜討の手柄せしとて、彼の大工は御所の五郎兵衛と異名を取りたり、

この小笠原家と言うのは小倉藩らしい。
この事件を元に柳亭種彦は「浅間嶽面影草紙(あさまがたけおもかげぞうし)」を書き、河竹黙阿弥は「御所の五郎蔵」という狂言に脚色した。
地元小倉が拘わる出来事が芝居に掛る。ただし種でしかないが。そのことを地元の人間はご存じない。

また小笠原藩は江戸藩邸において稲葉小僧という盗賊に秀吉拝領の茶道具を盗まれたことがある。これも地元の人間はご存じない。知るのは東京の人間ばかりである。

田舎の人にとって公文書に載っていなければ無いも同然なのだ。しかし藩の恥を公文書に残すわけがない。今も昔も当たり前である。田舎のことがらは田舎だけを見ていては何も分からない。

昔のことだけではない。現在も然りである。
東京の凄みはそこにある。東京は文化、情報の配電盤なのだ。
どんなに東京を無視しようと首都は偉大である。

好きで住んでいるのなら他にもっと好きな場所ができれば移ればよい。そうもいかん人間の気持ちは分かるまい。
それが分らない人に囲まれるこんな田舎を早く引き払って都会に住みたいと願う今日この頃である。