2011年6月24日金曜日

口説かれて瞽女はぶつならいやと言い

「瞽女は盲目の女旅芸人、というより乞食に近く、三味線の門づけで銭を乞い、時に売春もした。勘が鋭く、一度交わった相手を覚えていてるので、かかわった男は瞽女を叩いて後腐れを断ち切るというなわらしがあった」らしい。無残である。
瞽女は文化のように書かれてある資料は多いがとてもそんなものではなかった。果たして継承すべきものだったのか。

近世以前、人々は貧しかった。普通の人でさえ食うことがやっとの世間であった。盲目を含め障害者がどのような仕打ちを受けていたのか想像に難くない。

そうはいっても幕府は幕府なりに盲人の保護をしていた。
按摩や鍼灸、そして金貸しは彼らの独占であった。盲目は盲目なりに技術を身に付け身を立てろということである。当世ほど甘やかしてはいない。
しかし一流になるのは至難である。またそれだけで食っていけるほど世間は甘くはない。
盲目でどうやって食っていくか、その知恵を絞りに絞って出てきた仕事が瞽女なのではあるまいか。
当然巧い下手がある。巧くても生きていくのが至難であれば下手ではどうすればよいのか。それこそ肉の売買しか手はないではないか。
そのような過酷な仕事が今の世の中絶えて久しい。有難いことである。

町おこしに歴史は安易に利用されている。ただ美しい思い出だけを取り出して歴史というのは如何なものか。
保存すべきものもあろうが、伝承だけでよいものもある。保存するなら事実そのものも語り継がねばなるまい。それを無視することは許されぬ。

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