2007年12月2日日曜日

復興みなと祭り




海峡に緑のそよ風が吹く。
見にくいけど亀に乗っている浦島太郎は中野真吾市長
初夏の晴天のもと午前11時、満船飾旗を掲げた約30隻の在港船舶からいっせいに鳴り響く汽笛を合図に「復興みなと祭り」の祝賀式が華やかに開催された。満州事変のため自粛されていた「みなと祭り」の実に10年ぶりの復活であった。


戦争による門司市の罹災は甚大であった。港湾陸上施設の大半を焼失し、港内は無数の機雷によって封鎖され、全く使用不能の状態であった。
また、市街地は中心の商業地区を約20万坪にわたって焼失した。貿易を封じられ、市街地も復興しないありさまでは、門司市はほとんど都市機能を失ったといってよい。しかも全国的な物資の極度の不足は経済界の混乱とインフレの増高をきたしていた。戦災の復興は門司市再建のために最も緊急を要するものであったが、このような悪条件に再建を図らなければならないということは、門司市の商工業者の立ち上がりを一層困難なものにしていた。あたり一面焼け野原のまま時間だけが無常に流れていた。復興の槌音は遠くかすかに聞こえてくるにすぎなかったのである。


みなと祭り復活の音頭をとったのは当時門司市商工会議所会頭(後に門司市長)中野真吾氏である。
港は門司の面目であるのみならず、門司市民にとっての誇りである。港さえ昔に戻れば門司の復興は自然に促進される。しかし復興事業は自力でやらねばならない。彼は市民に娯楽を与えることによって復興に弾みをつけようとした。みなと祭りを復活させることにより、市民に活力を与え復興の心意気を全市にみなぎらせようと考えたのである。ただちに専門委員を選出し企画に取り掛かった。


「祭り」と名のつく以上権威が必要である。みなと祭りはその権威を和布刈神社から拝借した。
戦前は5月1日から3日までであった開催日を、5月13日から3日間、和布刈神社の祭礼にあわせた。
食料、日用品すらママならない時代、壮麗な山車、パレードは期待できない。またいかに壮麗であれ旧態然とした観景であるかぎり、心目を爽快にすることはできない。
花火大会、門司音頭、舞踏、相撲、野球、商店訪問マラソン、船員慰問休憩所などさまざまな企画が立案された。また天の岩戸以来、神も仏も女性の力を俟ってはじめて栄える。専門委員会は新しく「『ミス門司』の選出」という企画を打ち出した。当時粋人として知られていた中野氏ならではの発案というべきか。


みなと祭りの再開が発表されると復興の気勢は揚がった。戦災で焼失したままであった旧堀川以西のかつての繁華街は、内本町で食堂「幸亭」を経営していた早川輝一氏らが発起人となり、一帯の商店街の再建に取り掛かった。

「門司銀座街」と銘打ち、みなと祭りに華々しくデビューするたの建設工事は急ピッチで進められる。飲食、物販のみならず一角には銀座映画劇場が建設された。のちの「銀映」である。付近の商店街も建築に取り掛かり始め、復興の槌音はようやく足並みが揃いはじめた。


昭和22年5月13日午前8時、「復興みなと祭り」は商店訪問マラソンより始まった。
市役所集会場で行われた祝賀式は、駐留米軍門司港司令官も来賓として出席、ミス門司に選ばれた山田富美子、織畠京子、庄野ます子、都留和子4嬢の紹介、色街の姐さんたちによる余興があり、なごやかで華やいだ雰囲気につつまれた。


焼け落ちた門司商工会議所
すでに栄町を含む一帯の商店街は、みなと祭りが始まる数日前から福引つき大売出しを行い前景気を添えている。美しいアーチで彩られた老松公園では昼間から花火が上がり続け、演芸会が挙行され、出店は賑わいを見せていた。


仮設ではあるが船員慰問休憩所も設置された。午後には山車や仮装行列が続々と繰り出し、花電車、花自動車が走り、旧制中学、社会人野球、テニス、バレーボールなどスポーツ行事とともに、駐留米軍軍楽隊もお祭り気分をいっそう賑やかにした。第24師団軍楽隊は日本占領軍屈指の軍楽隊として知られていた。
当時の時代背景を考えると、決して豪華で派手なお祭りはできなかったはずである。しかし門司っ子は気負いを貴ぶ。モノはなくても見栄を張りたい。山車に付随する者は身の回りのあらん限りのものを掻き集め、華美を競い意匠を争った。そうは言っても山車やパレードのほとんどは市役所主導で行われた。祝儀が1000円出たというから、ほぼ強制参加に近い。もしくはヤラセである。復興気分を盛り上げるためには、なり振りをかまってはいられなかったのだ。


最終日には市役所、市内各会社、銀行は休業した。午後からは中野市長の浦島太郎をはじめ、市内各職場の仮装行列が繰り出した。お祭り気分は最高潮に達し、市内はごった返した。
遠目から傍観する者は誰一人いない。市民は復興を待ち望んでいた。みなと祭りに明るい未来を信じることができたのである。


みなと祭りが終わると梅雨が来る。祭りの名残と愛惜を洗い流すかのように雨は降り始めた。