2007年7月3日火曜日

本町


古い城下町ならまずある町。どこにでもありそうでなぜか小倉にはない。そしてなぜか門司には多い。 本町である。 本町、西本町、東本町、上本町とここぞとばかりある。大里を含めればさらに増える。 まさに本町の大盤振る舞いである。 要である本町は鎮西橋から桟橋通りまでを謂い、御多聞に漏れず中心街をなす。 門司最初の西洋建築安川松本合資会社、2番目の日本銀行門司支店、3番目の明治屋門司支店は皆本町に建てられた。 日銀をはじめとする金融の中心地であり当世の耳目を惹く一流会社が軒を連ねていたのである。 当時の門司の賑わいはどのようなものであったのであろうか。 明治度から大正度の始めまで、九州の田舎はまだ江戸を引きずっていた。 金を儲けることは賎しいもの、商人は悲しい身分とのみ思っていた。 貿易は投機考えられ、イカサマやゴマカシを手柄に、ただ買わせさえすればよいという心持ちがあった。 それ故か大賈豪商は貿易に手を出さなかった。ただ金になりさえすれば、という手合だけが、そこへ駆け付けたのである。そうした連中のすることである。想像に難くない。 この繁栄と活気の裏に垣間見える泥臭い人間の欲望を、少年中原中也は的確に表現している。 「門司駅に着いたのは午後の五時頃だった。待合室のコンクリートの土間に、撒かれた水に夕陽がひかって、その汚い感じはまた門司全市の汚さの表徴ででもあるように家並を見渡した時思われた。」