2008年10月13日月曜日

柳城址


何年か振りに戸ノ上山へ登った。
年のせいで滝の観音からの近道はきつい。古くからある登山道、寺内から登った。
この登山道の途中には柳城址の碑がある。ここには城址がなかったという説とあったという説があるが、よく分からない。

あったと仮定しよう。
ではなぜここに城が築かれたのか。
猿喰城はその存在が明らかだが、そこに行くとここにあった理由がよく分かる。城は七つ石峠と鹿喰峠を睨む位置にある。ここに城があれば裏門司への道が支配できる事が一目である。
しかもどちら下るにも容易である。一変への対応ができる。

しかし柳城はどうであろう。まずこの位置がどこなのかよく分からない。周りの木々が視界を塞いでいる。想像するに鹿喰峠を睨む位置にあると思われるが、それもよく分からない。峠道へ降りる道はあったのか、それも定かではない。
もうひとつ理由を挙げれば猿喰城を牽制するためだったのかもしれない。
結果的にこれは史実として明らかになったが、果たしてそのために築城したのか。
理由もなく城を築く暇があったとは思えない。


碑の裏側には「昭和三十年四月吉日 六六会建之」とある。この頃は門司も大里も郷土史が盛んであった。先人たちの熱い想いが伝わってくる。

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