2008年10月8日水曜日

もうひとつの大里宿


かつてここが花街だったと感(わか)る人はいるだろうか。大里宿跡から一本山手の裏通り、旧東八坂町である。

江戸時代、宿場町として賑わったこの界隈は、明治、大正度に工場の町として生まれ変わった。昭和一ケタの最盛期には百数十人の芸妓が数十軒の置屋に身を置き、二十数軒の料理屋を得意としていたとは古新聞の謂々である。
門司より少ないとはいえ、この狭い界隈でこの密度はあまりにも濃い。客は官吏、そして当時栄華をほしいままにしていた鈴木商店とその甘い香りに誘われた取り巻きたちであったという。

時代は下り、戦争、駅の移転とやがて街から色は褪せていった。昭和十九年、ついに大里券番は店を閉め、置屋は廃業していった。いつしか労働者の町となりその労働者も姿を消した。

しかし今でもひっそりとした路地を覗けば、三味の音(ね)が流れてきそうな風情がある。歴史の温もりが肌に触れた時、何もない街に情趣が香る。艶のある女性は年をとっても色っぽい。

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