2008年3月20日木曜日

旧英国領事館跡


昭和初期の「門司市街圖」に「英国領事館」とあるのはここのことである。が、場所が違う。また領事館といっても出張所であった。

明治36年4月1日に開庁式が行われ、以来船舶事務を取り扱った。


この出張所開庁に尽力した人物にホーレスナターという人がいる。
彼は御所神社の玉垣にその名が刻まれていることから、大里の文化に深い関心を持っており、また門司の景観を最初に憂た人物として記憶されるべきであろう。

彼はホームリンガーと深い関係にあったらしく、大里寺内にあった当時水無荘(すいむそう)と呼ばれていたホームリンガー支配人、ネール・ブロディ・リードの別荘を購入している。

この水無荘がまだネール・ブロディ・リードの持ち物だった時代、ここで21歳の藤原義江が父と対面し、和解した場所として特筆されてもおかしくない。

父は義江に欧洲遊学の資金を約し、これを機に義江は本格的なオペラ歌手として歩み始めることになる。
父は翌年急逝したが資金はホームリンガーから出された。将に絶妙のタイミングであった。


藤原義江の凄味は聴衆をつくったことである。謡と長唄の日本人に洋楽の素晴らしさを伝え観賞するまでに育てたのは彼である。
この凄さにはどんな天才も敵わない。

下関はもっと大切にしてもいいのではないだろうか。

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