2008年3月19日水曜日
醍醐
「醍醐」である。
竣工は大正6年と聞いた。中野真吾元門司市長の邸宅であったものを、現在の持ち主の先代が購入したらしい。
幾分建て増しがある。往時はもう少し庭が広かったであろうか。
家作は贅を凝らした造りであるらしい。岩田酒店と殆んど同じということから当時の門司の美意識の一端を窺うことができるかもしれない。
北側の部屋は現在は和室だが当初洋間であったと聞く。中野真吾の手際を感じる。
昔の大工にはある種美意識と見識があった。形は違っても贅の凝らし方は一途であった。
もし火事で焼けても寸分違わぬ家を造作出来たと謂う。もちろん設計図はない。
邸宅が買い取られてのち、料亭「醍醐」として営業を始めた。客は毎日新聞社の関係者に限られたという。社長が檜風呂が好きということで、豪華な檜風呂をこしらえたというエピソードが残っている。
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